『野ばら(Heidenröslein)』の解説

最終更新: 7月12日

ドイツ歌曲(Klassiche deutsche Lieder)で古典的で最も有名なものの1つがこの『野ばら(Heidenröslein)』でしょう。歌詞はゲーテ(Wolfgang von Goethe/1749-1832)が1789年に発表し、その後さまざまにメロディがつけられましたが、中でももっとも有名なメロディはシューベルト(Franz Peter Schubert/1797-1828)のものでしょう。

今日はこの野ばらの歌詞について解説したいと思いますが、まずはクラシカルなソプラノ歌手Elisabeth Schwarzkopf(1957)による "Heidenröslein" (Franz Schubert) をお聴きください。


これが私のイメージするところの「まさにこれこそ野ばら!」の録音です。


テンポは若干早いですが素晴らしい美声の Barbara Bonney による "Heidenroslein" (Franz Schubert) もいいです。特に動画の出来がいいですね。


さて、ゲーテの詩ですが、実は別の歌「Sie gleicht wohl einem Rosenstock(彼女はまるで薔薇のよう)」をベースに書かれたようです。この歌は Paul von der Aelst(パウル・ヴォン・デァ・エルスト)という人が1602年に発表した歌集「Sammlung Weltlicher züchtiger Lieder und Rheymen(世俗の上品な歌と歌謡集)」に掲載されたものです。特にこの中で繰り返し出てくる「Röslein auf der Heiden(野なかの薔薇)」がゲーテの詩にそのまま借用されます。今でいう「パクリ」ですね(笑)


ゲーテがこの詩を書いたのは1770年頃ストラスブールに留学していた時で、そこで知り合った牧師の娘フリーデリーケ・ブリオン(Friederike Elisabeth Brion/1752-1813)と恋に落ちてこの詩を奉げたそうです。

この頃やはりストラスブールに滞在していた、ゲーテと知り合いであった詩人、Johann Gottfried Herder(1802年から von Herder)も似たような詩を発表しています。「植物と少年」の構図が道徳的思考の例として用いられています。でもこれはヘルダー自身の詩作ではなく、子どもが歌うような民謡を記憶から再現したものだったそうです。

ゲーテが「野ばら」を自ら出版したのは1789年のことですが、彼がヘルダーの再現詩を知っていたかどうかは不明です。いずれにせよモチーフに関してはオリジナリティがなく、むしろ巷の伝統に従ったものということですね。


さて、以下が1827年最終版のテキストです。

Sah ein Knab’ ein Röslein stehn, Röslein auf der Heiden, War so jung und morgenschön, Lief er schnell es nah zu sehn, Sah’s mit vielen Freuden. Röslein, Röslein, Röslein roth, Röslein auf der Heiden.

Knabe sprach: ich breche dich, Röslein auf der Heiden! Röslein sprach: ich steche dich, Daß du ewig denkst an mich, Und ich will’s nicht leiden. Röslein, Röslein, Röslein roth, Röslein auf der Heiden.

Und der wilde Knabe brach ’s Röslein auf der Heiden; Röslein wehrte sich und stach, Half ihm doch kein Weh und Ach, Mußt’ es eben leiden. Röslein, Röslein, Röslein roth, Röslein auf der Heiden.

翻訳はいろいろありますので、ここでは文法的および語彙の解説にとどめます。


Sah(sehen 見る の過去形3人称単数)で始まるこの最初の文は長いことどう解釈すべきか議論されてきました。通常動詞で始まる文は疑問文ですが、その他にも「~であれば」という条件文や、「~であったらなあ」という非現実的な願望を表す用法があります。つまり、

Sah ein Knab’ ein Röslein stehn

という一文は「一人の少年が一本の小さな薔薇が生えているのを見た」という単純な意味ではないと考えられます。

しかし、昔話を始める定型として「es war einmal」というのがありますが、主語ではなく「es」という代名詞(しかしなにか特定のものを指しているわけではない)で始めて聞き手の注意を促す用法がありますが、この用法に従い、問題の文は元々は「Es sah ein Knab’ ...」で、それが強弱韻の都合から「es」が省略されたのではないかという説もあります。でも、「少年が薔薇を見つけると、それが若く美しいので、近くで見るために走り出した」という風な条件文的解釈も捨てがたいです。


Knab’ は Knabe で、韻の都合で最後の母音が落とされています。ほとんど死語に近い言葉なので、近藤朔風の訳「童(わらべ)」は適切と言えます。現代なら Junge と言うところです。

Röslein は Rose に指小辞(Deminutiv)-lein が付いたもので、小さく愛らしいバラを指します。-lein は現代では生産的な接尾辞ではなく、残されている単語は Fräulein (フロイライン、死語となった未婚女性に対する呼びかけ)などを含む限られたものだけです。南西ドイツで話されるシュヴァーベン方言の -le、-li にその名残があります。その地域では生産的な接尾辞ですが、標準ドイツ語では -chen が生産的な接尾辞です。

stehn = stehen 立っている

sehen + 目的語 O(Akkusativ、4格) + 不定詞(Infinitiv)という構文は、「O が~するのを見る」を意味します。見るを意味する他の動詞や聞く(hören など)でも同じ構文を形成します。

Röslein auf der Heiden 現代ドイツ語では auf der Heide となります。複数形は Heiden ですが、その場合 auf den Heiden とならなくてはなりません。Heide はただの野原ではなく、砂地で木がなくエリカやジュニパーなどが多い平地を指します。砂地であることが重要なメルクマールですが、日本語には訳出できないので「野中の薔薇」としておきましょう。

War so jung und morgenschön は一見動詞 war(sein の過去形3人称単数)で始まっているように見えますが、前行の Röslein auf der Heiden が主語です。jung(若い)はともかく、morgenschön は Morgen(朝)と schön(美しい)を組み合わせた造語ですので、詩的な解釈が必要です。「朝のようにすがすがしい美しさ」と解釈できそうです。so は「それほど、これほど、あれほど」などのように状況によって規定される程度を表します。1770年という時代を考えて訳すと「野中の薔薇よ、かくも若く清らかなり」といったところでしょうか(笑)

Lief er schnell es nah zu sehn はまた動詞 lief(laufen(走る)の過去形3人称単数)で始まってますが、前文とつながっていると考えれば特に不自然ではありません。つまり、バラが綺麗だったので彼(少年)が走り出した感じです。現代風に言えば、Da das Röschen auf der Heide so jung und schön war, lief er .. という感じでしょうか。

es はここでは Röslein を指しています。

nah 近くで 

zu sehn = zu sehen zu を伴う不定詞。ここでは目的を表します。「それを近くで見るために」

Sah’s mit vielen Freuden. ’s は es の省略形で、やはり Röslein を指しています。

vielen Freuden Freude(喜び)を複数形(Dativ、3格)にしてまるで数えられるものであるかのような表現なのが奇妙です。現代であれば mit viel Freude と言うところです。不可算名詞の複数形はその指示するものが複数あるのではなくて[種類]が複数あることを表します。つまり、ここで表現される喜び・楽しみは数種類あり、目でめで、香りを堪能し、手触りも楽しんだかもしれません。動詞は「見た」だけですが、同時に違った種類の感覚を味わったことが Freuden という複数形でほのめかされています。

Röslein, Röslein, Röslein roth

roth = rot 赤い。 Röslein roth には動詞 war または wurde が抜けています。これが修飾語ではなく、述語であることは格変化をしていないことから明らかです。「赤い薔薇」であれば rothes Röslein で、それが詩人の自由裁量で倒置されてもおかしくはないのですが、ここでは格変化がないので、「薔薇は赤かった(または赤くなった)」です。少女が恥ずかしがって赤くなったことを暗示しているのでしょうね。


Knabe sprach: ich breche dich 少年は言った「あなたを折りますよ」

sprach sprechen(言う、話す) の過去形1人称単数。

breche brechen(折る、壊す)の現在形1人称単数。

Röslein auf der Heiden! 野中の薔薇よ! 

呼びかけです。

Röslein sprach: ich steche dich 薔薇は言った「あなたを刺しますよ」

steche stechen(刺す)の現在形1人称単数。

Daß du ewig denkst an mich あなたがずっと私のことを思い続けるように

これは ich steche dich の目的を表す副文です。通常の語順は daß (= dass) du ewig an mich denkst ですが、例によって強弱韻の都合で語順が置換されています。

ewig 永遠に

denkst denken の現在形2人称単数。an etwas/jemanden denken ~のことを思う、考える

Und ich will’s nicht leiden それに私はそれを許さないわ

まだ薔薇のセリフです。leiden の解釈が難しいです。普通は「(病気などで)苦しむ」を意味しますが、否定形では「我慢しない」「許さない」という意味もあります。「苦しみたくない」よりは「(折られることを)許さない」という意味の方がふさわしいように思います。

will wollen(欲する、または単なる未来を表す助動詞)の現在形1人称単数。


Und der wilde Knabe brach ’s  そしてその野蛮な少年はそれ(薔薇)を手折った

wilde wild の弱変化形、男性(Maskulinum)1格(Nominativ)、単数(Singular)。

brach brechen(折る、壊す)の過去形3人称単数。

この部分は少年が少女を強姦したとも取れます。「花を手折る」という日本語が「処女を奪う」ことを暗示するように、ドイツ語でもそのような暗喩が可能です。ただ本当に性的な関係がフリーデリーケとゲーテとの間にあったのかどうかは不明です。この詩が彼女に宛てて作られたものであるということを考えれば、彼女を性的に求める彼の願望を詩的な情景として表現したと考えることもできます。

Röslein wehrte sich und stach 薔薇は抵抗して刺した

wehrte sich sich wehren(抵抗する)の過去形3人称単数。

stach stechen(刺す)の過去形3人称単数。第1行の brach と脚韻を踏んでいます。

Half ihm doch kein Weh und Ach しかし、彼に何の痛みも与えることはなかった

はっきり言って解釈の難しい行です。Half は helfen(助ける)の過去形3人称単数ですが、Weh und Ach(痛み・苦しみ)というネガティブなものと一緒に使われるのが異常と言えます。おそらく彼に痛みを与えてその行動を止める助けとならなかったことを短縮して表しているのだと考えられます。次の行の意味とのつながりを考えるとこの解釈が妥当のように思えます。

Mußt’ es eben leiden.  だからそれを許さざる(我慢せざる)を得なかったのだ

mußt' = mußte (= musste) müssen (しなければならない、せざるを得ない)の過去形3人称単数。

es はここでは brechen(折る、壊す)の行為を指しています。

eben は「だから」「結局」のようなニュアンスの小辞(Partikel)です。

先に "Ich will's nicht leiden" と言ってた Röslein ですが、抵抗の甲斐なく結局 leiden する羽目になったということですね。


ベースとなった「Sie gleicht wohl einem Rosenstock(彼女はまるで薔薇のよう)」とは著しく違って、男性優位で終わる詩です。この牧師の娘フリーデリーケとの恋はあっという間に終わってしまいますが、その後も複数の女性に不義理を働くことになるゲーテらしさがすでにこの詩に現れていたのかもしれませんね。欲望に任せて嫌だというのに花を手折るなんてけしからんとしか思えませんが。


それにしても、挿絵の中の男の人は Knabe というには年喰い過ぎてますよね(笑)

詩全体の暗喩する内容を考えると、「童」という訳も「少年」という訳も全然相応しくないですね。これを書いた時のゲーテの年齢も考慮すれば、本当は「青年」というのが相応しいのでしょう。



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